玉名地域

玉名地域は熊本県の北西部に位置し、温暖な気候と肥沃な土地を活かして、フルーツの栽培が盛んに行われています。

玉名市街地(玉名市)
三井三池炭鉱・万田坑跡(荒尾市)

玉名地域の市区町村・中心都市

  • 玉名郡
    • 玉名市(玉名・岱明・横島・天水)
    • 荒尾市
    • 長洲町
    • 南関町
    • 玉東町
    • 和水町(菊水・三加和)
  • 行政の中心:玉名市(玉名地域振興局所在地)
  • 経済の中心:玉名市高瀬
  • 交通拠点
    • 主要駅:新玉名駅・玉名駅(玉名市)
    • バス停留所:玉名駅前(玉名市)
    • 高速道路:
      • 九州自動車道:南関IC(南関町)・菊水IC(和水町)
    • 港湾:長洲港(長洲町)

玉名市

玉名市街地・高瀬町(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
伊倉町(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
大浜町(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
天水町小天(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
横島町(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
岱明町(玉名市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

熊本県北部に位置する玉名市は、菊池川の恵みと有明海の風土に育まれた歴史と文化の薫るまちであり、温泉と古墳、ラーメンと文学が同居する、多面的な魅力を持つ地域です。2005年に旧玉名市が岱明町・横島町・天水町と合併して現在の市域が形成され、面積はおよそ153平方キロメートル、人口は約6万人(2025年4月時点推計)を数えます。市内中心部の高瀬地区はかつて水運の拠点として栄え、現在でも高瀬裏川や高瀬目鏡橋に代表される石橋や水路の風景が、静かに当時の繁栄を物語っています。

玉名はまた、温泉地としての知名度も高く、玉名温泉や小天温泉など泉質豊かな湯が各地に湧き、観光客や地元住民の癒しの場として親しまれています。さらに、明治期に夏目漱石が訪れ小説『草枕』の舞台となった小天地区や、国の史跡に指定された大坊古墳・永安寺東古墳をはじめとする装飾古墳群など、文芸と考古学の両面で深い魅力を放つまちでもあります。古代から近代まで連綿と続く歴史が、神社仏閣や古墳、旧家、町並みに静かに息づいています。

産業面では、菊池川流域の肥沃な農地を生かした農業が基幹であり、イチゴやトマト、ミニトマト、みかんなどの果物類を中心に多彩な農産物が育てられています。有明海沿岸では海苔やアサリの養殖も盛んで、山海の幸が揃う土地柄です。また、玉名ラーメンに代表される飲食文化も観光資源として根付いており、地域を挙げたブランド化や商品開発が進められています。食品加工やパッケージング、電子部品などの製造業も集積しており、企業誘致や工業団地の整備も着実に進んでいます。

交通の利便性も高く、JR鹿児島本線と九州新幹線の双方が市内を通り、在来線の玉名駅・肥後伊倉駅、新幹線の新玉名駅などが設置されています。国道208号や玉名バイパスも通過しており、熊本市、荒尾市、山鹿市など周辺都市へのアクセスも良好です。市内では地域循環バスや予約制の乗合タクシーも導入され、高齢者や交通弱者への配慮もなされた地域交通ネットワークが整っています。

教育環境も充実しており、小中学校のほか、玉名高校・玉名工業高校・北稜高校などの県立高等学校、玉名女子高校や専修大学玉名高等学校といった私立校、九州看護福祉大学といった高等教育機関も所在し、幅広い世代の学びを支えています。スポーツや文化活動も盛んで、市内では金栗四三を顕彰するマラソン大会や駅伝が恒例となっており、地域の絆を深める行事として親しまれています。

市の文化的象徴のひとつが蓮華院誕生寺であり、仏教文化と修養の場として全国から信仰を集める一方で、現代的なアートや地域振興イベントの拠点ともなっています。また、道の駅や農産物直売所、温泉施設などが観光と日常生活の両面を支えており、暮らすにも訪れるにも心地よい「住観両立型」の都市として、玉名は独自の存在感を放っています。

玉名市はその名の通り「美しい名の地」として、古代から続く伝統と現代の利便が交差するまちです。歴史に育まれた厚みのある文化を礎に、農業・観光・教育・交通の各分野でバランスの取れたまちづくりが進められており、熊本県北部の中核都市として、今後も静かに力強く歩みを続けていくことでしょう。

荒尾市

荒尾市街地(荒尾市)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
三井三池炭鉱万田坑(荒尾市)
グリーンランド(荒尾市)

熊本県の北西端に位置する荒尾市は、有明海に臨む穏やかな海岸線と、かつての炭鉱都市としての歴史、そして今では観光・農業・文化が融合する活気ある中核都市として、地域の独自性を色濃く残すまちです。面積は約57平方キロメートル、人口は約4万8千人(2025年4月時点推計)で、北は福岡県大牟田市と隣接し、都市圏としての一体性を持ちながら、県境のまちとして交流や交通の要でもあります。とくにJR荒尾駅周辺やグリーンランド付近は商業地・住宅地として発展し、大牟田市との都市連坦を成しています。

炭鉱の街として栄えた歴史は今なお荒尾市の基層に息づいており、その象徴が世界文化遺産に登録された万田坑です。三井三池炭鉱の重要な一角をなしたこの地には、産業革命期の近代建築や機械設備が残されており、産業遺産としてだけでなく地域の誇りとして保存活用が進められています。また、グリーンランド(旧三井グリーンランド)は、かつての企業城下町の娯楽施設として出発し、現在では九州最大級のアミューズメントパークとして、県内外から多くの来園者を集める観光の核となっています。

一方で、自然資源にも恵まれており、有明海に面した荒尾干潟はラムサール条約に登録された日本有数の渡り鳥の飛来地であり、地元の漁業者や自然保護団体によってその保全と活用が進められています。梨の名産地としても知られ、とりわけ「荒尾ジャンボ梨」の名で全国に知られる新高梨は、その大きさと甘味で高い評価を得ています。近年では、オリーブの栽培など新たな農産品の育成にも注力し、気候変動や高齢化による農業構造の変化に対応した地域づくりが進められています。

市内には小代焼をはじめとする伝統工芸も残されており、江戸時代からの窯元が今も手仕事を継承しています。また、宮崎滔天をはじめとする宮崎兄弟の出身地として、自由民権運動や孫文との歴史的関係も有名であり、宮崎兄弟資料館などでその足跡に触れることができます。歴史、産業、自然、観光と多彩な魅力をあわせ持つことが荒尾市の特徴です。

教育環境では、県立岱志高校や有明高校など複数の高校を有し、義務教育では市内に中学校3校、小学校10校以上が整備されています。また、図書館や地域学習施設も整い、市民の学びや交流の場が日常的に確保されています。交通の面ではJR鹿児島本線が市を南北に貫き、荒尾駅や南荒尾駅が日常の移動や通勤通学の拠点となっています。鉄道に加え、産交バスや西鉄バスが大牟田市や玉名市とを結ぶ役割を果たしており、県境をまたぐ広域生活圏を支える基盤が整備されています。

近年では、都市部への人口流出や少子高齢化といった全国共通の課題にも直面していますが、地域住民による特産品開発や空き店舗再活用、文化振興など、住民主体のまちづくりが息づいています。中でも「食と農と観光」を軸とした地域再生プロジェクトが官民一体となって推進され、観光資源と地場産業の活性化を両立させる取り組みが進行中です。

荒尾市は、明治の産業近代化とともに歩んだ過去を持ちながら、いま再び「交流」と「暮らし」を軸にしたまちとして再定義されつつあります。歴史ある町並みと新しい商業開発、豊かな自然と文化的多様性が調和する荒尾市は、熊本県北西部の個性派都市として、今後も独自の魅力を発信し続けることでしょう。

長洲町

長洲市街地(玉名郡長洲町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
長洲港・有明フェリー(玉名郡長洲町)

熊本県の北西部、有明海に面した港町として発展してきた長洲町は、金魚と鯉の養殖、造船、干拓地農業、そしてフェリー港を擁する交通の結節点という複数の顔を持つコンパクトな自治体です。面積は約19平方キロメートルと県内でも比較的小規模ながら、人口は約1万4,500人(2025年4月時点推計)と、農業・工業・水産業のバランスが取れた産業構造のもと、独自の地域性を育んでいます。町内の平地部は江戸時代以降の干拓によって造成された土地が多く、なだらかな海岸線と広がる水田、港湾工場群、そして観光拠点が織りなす景観が特徴です。

長洲町の西部には、九州と島原半島を結ぶ有明フェリーの発着地である長洲港があり、熊本と長崎を結ぶ海上交通の要所として重要な役割を担っています。陸上交通においても、JR鹿児島本線の長洲駅が町の中心駅として機能し、周辺地域との通勤通学・物流・観光の接点として活用されています。一方、産交バスの撤退以降、町内では登録制の「きんぎょタクシー」が地域交通を支え、公共交通の補完に取り組んでいます。

町の経済を支えるのは、漁業と工業の2本柱に加えて、金魚と鯉の養殖です。養殖業は長洲町の代名詞ともいえる産業で、「金魚と鯉の郷広場」では販売や展示、イベントが行われており、全国的にもその名を知られています。また、有明海に面する地の利を活かし、海苔の養殖も行われており、地域ブランドの水産物として高い評価を受けています。工業分野では、長洲港周辺の埋立地に大手・中堅メーカーの工場が立地しており、ジャパン マリンユナイテッドやLIXIL、日立造船グループの関連事業所が町の雇用と産業基盤を下支えしています。

教育と福祉の分野では、町立の中学校1校・小学校4校を中心に、幼児教育施設や福祉拠点施設が整備されており、子育て支援や高齢者福祉の施策も着実に進んでいます。図書館、総合体育館、温水プール、テニスコートなどを備える「ながす未来館」やふれあいセンターなど、町民の交流と学びを促す場も数多く設けられています。

観光・文化の面では、「火の国長洲金魚まつり」「のしこら祭」など地域に根差したイベントが年中行事として定着しており、また、有明フェリーや干拓の風景、立花誾千代の墓など、歴史・自然・人の営みが重なり合った町の風土が訪れる人々を惹きつけます。近年では観光と産業の連携を通じた地域ブランディングも模索されており、町ぐるみでの地域再生の取り組みが注目されています。

財政的には一時期、下水道事業などにおける累積赤字を抱え厳しい局面もありましたが、歳出削減や行政改革の成果によって2014年度には黒字転換が実現されるなど、堅実な行政運営へと舵を切っています。行政の透明性や市民参画を重視する姿勢も評価され、住民との距離が近い小規模自治体ならではの柔軟な対応がなされています。

長洲町は、有明海の恵みを活かした海洋産業と、金魚という独自の文化資源を基盤に、工業・観光・交通が交錯するポテンシャルを秘めた町です。小さな町ながら、海を越えた交流、地に足のついたものづくり、そして地元愛に満ちた人々の暮らしが静かに息づいており、今後も「金魚のまち」として全国にその名を発信していくことでしょう。

南関町

南関町(玉名郡南関町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
南関インターチェンジ(玉名郡南関町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

熊本県北西部、福岡県境に位置する南関町は、古くから交通と防衛の要衝として栄えた歴史を持ち、江戸時代には豊前街道沿いの関所町として参勤交代の大名たちが往来した風情を今に伝える小都市です。面積はおよそ69平方キロメートル、人口は約8,000人(2025年4月時点推計)と、熊本県内では比較的小規模な自治体ながら、九州自動車道の南関インターチェンジを抱え、交通利便性の高い立地と、古き良き文化資源、そして特産品による地域ブランディングで注目される存在となっています。

地勢的には小岱山や大津山といったなだらかな山並みが町を囲み、関川や内田川といった清流が流れる里山風景が広がっています。町名の由来でもある「関」は、肥後と筑後の境に置かれた関所に由来し、平家物語や豊臣秀吉の九州征伐、細川忠利の肥後入国など、数多くの歴史の舞台として登場します。町中心部には、江戸時代の藩主の宿泊所として利用された「南関御茶屋跡」が保存されており、現在も豊前街道の名残をとどめる数少ない町のひとつです。

かつて南関町は鉄道敷設が検討されたこともありましたが実現せず、現在の交通はバスと自動車中心です。それでも九州道の南関ICをはじめ、国道443号や県道3号、4号など幹線道路が整備されており、福岡県大牟田市・みやま市との往来も活発です。高速バス「ひのくに号」は福岡空港や熊本市方面へのアクセスを担っており、町内には複数の路線バスと拠点停留所も設けられています。

町の名産品として知られるのが、熊本県の郷土食としても有名な「南関あげ」と「南関素麺」。特に南関あげは日持ちが良く、煮物や味噌汁、炒め物に合う万能食材として県内外で高く評価されています。また、県内有数の窯元地として「小代焼(おじろやき)」の伝統も受け継がれており、町内には陶芸体験施設やギャラリーも点在しています。その他、南関煮しめや地元産の米など、里の恵みを活かした食文化が生活に根づいています。

イベントや文化活動も盛んで、8月には「なんかん夏まつり(ぎおんさん)」、11月には「関所祭り」が行われ、地元住民と観光客でにぎわいます。特に夏まつりに登場する大蛇山は、福岡県大牟田市ともつながる文化遺産であり、隣県との共通の祭礼文化が今も共有されています。また、「ふるさと関所健康マラソン」など、自然や歴史と連動した住民参加型のイベントが地域コミュニティを支えています。

教育面では、小中学校の統廃合を経ながらも4つの小学校と1つの中学校が維持されており、町内の子どもたちの学びと地域とのつながりを大切にしています。かつて存在した南関高校は岱志高校への統合により閉校しましたが、現在も進学や部活動支援などを含めた教育施策が継続されています。2022年には、老朽化が進んでいた町役場を旧南関高校跡地に新築移転し、木造と鉄骨を組み合わせた新庁舎が稼働を開始。防災拠点や多目的空間としての機能も併せ持つ施設として、町の新たな中心として活用されています。

南関町は、近隣の大都市に通勤・通学可能な距離にありながらも、静かな里山の暮らしが残る「ちょうどいい田舎」として、移住や定住を検討する人々にとっても魅力ある選択肢となりつつあります。歴史の積層を礎に、食・交通・文化・住のすべてにおいて“つながる町”として、これからも地域資源を活かした穏やかで持続可能なまちづくりが続いていくことでしょう。

和水町

菊水町・江田町(玉名郡和水町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
三加和町・板楠(玉名郡和水町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
菊水インターチェンジ(玉名郡和水町)
(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

熊本県北西部に位置する和水町は、玉名郡に属する静かな町であり、南北に細長い地形の中に、豊かな自然、深い歴史、そして現代的なものづくりの拠点が共存しています。2006年に旧菊水町と三加和町が合併して誕生した和水町は、現在およそ99平方キロメートルの面積を有し、人口は約8,500人(2025年4月時点推計)と、熊本県内でも中小規模の自治体に数えられますが、その文化的・地政学的な重みは人口以上に大きなものがあります。

この町の地名「なごみ」は、合併時に全国公募により名付けられた合成地名ですが、仮名書きの響きは町の穏やかさと調和をよく表現しています。熊本市から北へ約30km、福岡市からは南へ約90kmという中間地点に位置し、山鹿市・玉名市・南関町・玉東町と熊本県内の複数の自治体に加え、福岡県のみやま市や八女市とも接しており、交通・物流の結節点としてのポテンシャルも高い地域です。町域の多くは盆地で形成されており、水田と雑木林が織りなす田園風景と、古墳群や湧水地、温泉地といった観光資源が調和しています。

この地域の歴史は非常に古く、なかでも「江田船山古墳」から出土した銀象嵌銘大刀は、日本古代史の解明に欠かせない国宝級資料として知られており、和水町の名を全国に広めた象徴的な存在です。また、謎の遺構「トンカラリン」や田中城跡、肥後民家村といった歴史的・文化的資源に加え、山間部の三加和温泉や菊水温泉といった湯処も町民と来訪者の癒しの場となっています。

また、この町は「日本マラソンの父」として知られる金栗四三の出身地でもあり、NHK大河ドラマ『いだてん』の放送を契機に、三加和温泉近くには期間限定で金栗四三ミュージアムが開設され、生家も整備されるなど、町を挙げた顕彰と地域活性化が行われました。このように、歴史とスポーツ、観光が融合するユニークなまちづくりが和水町の特色です。

産業面では、花の香酒造やオーシャンエナジーテクニカ、丸美屋などの企業が町内に拠点を構え、伝統と技術を融合させた製造業が根付いています。菊水IC周辺には工業団地も整備され、九州自動車道を活かした立地として今後の成長も期待されています。また、農業では米や野菜に加え、町内の特産品として「和水産の大豆」「米みそ」など地域ブランドが定着しつつあります。

公共交通機関はやや限られており、町内に鉄道は通っていないものの、熊本市や福岡空港を結ぶ高速バス「ひのくに号」が菊水バスストップに停車し、産交バスによる玉名市・山鹿市方面への路線バスも運行されています。近年は、新玉名駅や玉名駅との接続も意識した地域交通の再編が進められています。自家用車での移動が基本とはいえ、道の駅「きくすい」や菊水ロマン館などの施設が集まる拠点エリアは観光と物流の交差点としてにぎわいを見せています。

教育分野では、町立の小学校と中学校が旧町域ごとに整備され、地域性を大切にした教育が実践されています。また、2019年に発生した震度6弱の地震では、町内の公共施設や学校も大きな影響を受けたものの、地域の連携と復旧努力により、町は早期に日常を取り戻しました。

和水町は、歴史・自然・文化・スポーツのすべてが凝縮された「熊本の奥座敷」ともいえる地域です。静かな里山に根づく暮らしの美学と、時代を動かした人物や史跡を背景としたダイナミックな物語が共存する町は、派手さはなくとも確かな魅力にあふれ、今も昔も、そしてこれからも「なごみ」の名にふさわしい、調和と誇りのまちとして歩み続けています。

玉東町

木葉(玉名郡玉東町)
山北・白木(玉名郡玉東町)

熊本県北部、玉名郡に属する玉東町は、果樹栽培が盛んで自然と歴史に彩られた町であり、その名の通り玉名市の「東」に隣接する位置にあります。町域は24平方キロメートルと県内でもコンパクトな規模ながら、熊本市や山鹿市、和水町に隣接しており、北部熊本地域における生活圏の中にしっかりと組み込まれています。2025年4月時点の推計人口は約4,900人。みかんやスモモ、梨などの果樹園が連なる丘陵地が広がり、町のキャッチフレーズにも掲げられる「みかんと史跡の里」を体現する、静かで豊かなまちです。

玉東町は1955年に旧木葉村と山北村が合併して誕生し、1967年に町制を施行して現在の姿となりました。町名に「玉」が入ることから、玉名郡の地名を反映しているほか、「東」は地理的な位置関係を表しています。町の中心にはJR鹿児島本線の木葉駅があり、熊本市や玉名市方面へのアクセスも良好で、公共交通による通勤通学の利便性を確保しています。また、九州新幹線の線路も町内を通過しており、近隣の新玉名駅を利用すれば福岡・熊本間の広域移動も可能です。

農業は町の主要産業であり、とりわけ柑橘類や梨の栽培に力を入れており、「ハニーローザ」と呼ばれるスモモは特産品として県内外で高く評価されています。紅あずま(さつまいも)やスイカ、手作り味噌の「野菊みそ」、素朴な郷土菓子「いきなりだご」、さらには郷土玩具「木葉猿」など、季節ごとの農産物と伝統文化が融合した魅力的な物産が町内には揃っています。こうした産品は地域の物産館や直売所などを通じて地元住民と来訪者の間に豊かな交流を生んでいます。

玉東町はまた、西南戦争における激戦地のひとつとしても知られており、町内各地には当時の戦没者を弔う官軍墓地や記念碑が点在しています。高月官軍墓地や宇蘇浦官軍墓地などの史跡は、明治期の近代化と日本の歩みの一断面を静かに語る場所であり、教育と平和のフィールドとしても活用されています。また、木葉地区では春と秋に開催される山北八幡宮の例大祭や、夏のふれあいまつりなど、地域の歴史と結びついた伝統行事が今も大切に守られており、住民の絆を育む役割を果たしています。

教育機関としては、小学校2校と中学校1校が設置されており、地域の特性を活かしたふるさと教育や農業体験、郷土史学習などを通じて、地元を誇りに思える子どもたちの育成に力を入れています。また、2024年には町役場の新庁舎が完成し、コンパクトでありながら機能的な行政拠点として、防災や福祉、住民サービスの強化を図っています。行政面では、長期にわたり現職を務める前田町長のもと、地域住民との対話を重視した運営が継続されており、小さな自治体ならではの迅速で丁寧な対応が支持を集めています。

日々の暮らしの中に四季の恵みと歴史の重みが共存する玉東町は、都市圏に隣接しながらも自然や地域文化に恵まれた「暮らしやすさ」と「誇り」を兼ね備えたまちです。みかん畑の広がる緩やかな丘陵地を背に、鉄道や幹線道路で外の世界とも柔らかくつながりながら、町民一人ひとりの営みが地域を支えています。近年では、移住者や子育て世代へのサポートにも力を入れており、落ち着いた環境での暮らしを求める人々にとっても、玉東町は注目される存在となりつつあります。

玉名地域のフルーツ

玉名地域は、熊本県の玄関口として古くから栄え、熊本市や福岡県へのアクセスが良好な地域です。特に玉名市は温泉や史跡など観光資源も豊富で、県内外から訪れる観光客にも人気です。また、この地域では、温暖で降水量が適度に多い気候を活かし、多種多様なフルーツが栽培されています。特にイチゴやミカン、梨などは品質の高さと甘みの強さで知られ、県内外で高く評価されています。さらに、玉名の特産品としてブランド化された農産物も多く、地域経済の活性化に大きく貢献しています。

  • 温州みかん
  • ハウスみかん
  • デコポン(不知火)
  • 梨(幸水・豊水・新高)
  • イチゴ(ゆうべに)
  • ぶどう(シャインマスカットなど)