上益城地域
上益城郡(かみましきぐん)は、熊本県に位置する郡で、現在は嘉島町・甲佐町・益城町・御船町・山都町の5町を含みます。


上益城地域の市区町村・中心都市
- 上益城郡
- 御船町
- 益城町
- 嘉島町
- 甲佐町
- 山都町(矢部地区・清和地区)
- 行政の中心:御船町(上益城地域振興局所在地)
- 経済の中心:益城町
- 交通拠点
- 主要駅:なし(熊延鉄道・御船駅は1964年廃止)
- バス停留所:御船停留所(御船町)・御船インターチェンジ(御船町)・イオンモール熊本(嘉島町)
- 高速道路:
- 九州自動車道:益城熊本空港IC(益城町)・御船IC(御船町)
- 九州中央自動車道:山都通潤橋IC(山都町矢部地区)
- 空港:阿蘇くまもと空港(益城町)
御船町

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

熊本県上益城郡に属する御船町は、熊本市の南東部に隣接し、自然の恵みと深い歴史に彩られた町です。面積は約99平方キロメートル、人口は約1万6千人(2025年4月時点推計)と、熊本市のベッドタウンとしての機能を持ちながら、独自の文化や産業を維持しています。この地は、阿蘇外輪山に連なる丘陵地帯と熊本平野の接点に位置し、御船川や矢形川などの河川が町内を潤しながら西へと流れます。とりわけ吉無田高原や吉無田水源といった自然資源は、景勝地としてだけでなく、生活や農業における水の供給源として地域を支えてきました。
御船という町名は、神話時代に景行天皇が九州遠征の際に船を着けたという伝承に由来し、古代から交通の要衝であったことを物語っています。中世には阿蘇氏の流れを汲む御船氏が拠点を構え、その後は甲斐宗運の支配を経て、加藤清正・細川家の治世下で城下町として発展しました。とくに江戸期には九州でも有数の商業地として名を馳せ、熊本県内第一の町と称された時代もありました。近代以降、鉄道や道路網の整備が進む中で県内の他地域と比較して静かな発展を遂げましたが、文化財や史跡の多さはその栄光の名残を今に伝えています。
町の代名詞ともいえるのが「恐竜の里」としての顔であり、日本で初めて肉食恐竜の化石(ミフネリュウ)が発見された地として全国に名を知られています。町内にある御船町恐竜博物館では、化石の展示だけでなく発掘体験や学習プログラムも実施され、子どもから大人まで多くの来訪者を引きつけています。恐竜というキーワードを軸に、町は教育観光や地域ブランド化にも積極的に取り組んでおり、歴史と科学が共存するユニークな地域資源となっています。
交通面では、九州自動車道と九州中央自動車道の二本の高速道路が交差する要地にあり、御船ICや小池高山ICなど複数のインターチェンジを有しています。鉄道路線は存在しないものの、バス交通が発達しており、熊本市内や益城町など周辺自治体と日常的な往来が可能です。さらに、高速バスにより宮崎・鹿児島など南九州各地ともつながっており、流通・移動の利便性に恵まれた土地柄です。
産業面では農林業を基盤としながら、近年は商業施設の進出も目立っており、2021年には熊本県内および南九州で初となる「コストコ」が出店し、広域からの買い物客を集めています。また、地域の伝統産業や観光資源も活かされており、七滝神社の例大祭や「御船があーっぱ祭り」など、地域密着のイベントも活発に開催されています。吉無田高原ではグランピングやマウンテンバイクコースが整備され、自然体験とレジャーを兼ねた観光振興にも力が入れられています。
教育に関しては、町内に熊本県立御船高等学校、御船中学校、複数の小学校を擁しており、音楽大学である平成音楽大学も所在することから、芸術・文化分野での教育的蓄積もあります。文化財や歴史資源も豊富で、町内には甲斐宗運ゆかりの御船城跡(現在は城山公園)や、江戸時代の町家「御船街なかギャラリー」、南北朝期創建の東禅寺、県指定文化財の石橋群(目鑑橋など)といった歴史的遺産が数多く残されており、文化的な重みを持つ地域として評価されています。
御船町は、熊本都市圏の一角にありながら、自然・文化・教育・観光といった多様な資源を自らのペースで磨き上げてきた町です。恐竜をはじめとする独自の魅力と、歴史に裏打ちされた街道文化、そして豊かな自然環境を活かした新しいライフスタイルの発信地として、これからも静かに注目されていく地域です。
益城町

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)


熊本県の中央部に位置する益城町は、豊かな自然と都市近郊の利便性を併せ持つ、暮らしやすさと発展性を兼ね備えた地域です。熊本市東部に接しながらも、独自の風土と歴史を育んできたこの町は、阿蘇くまもと空港を有する交通の要衝であり、また緑川水系の清流や広がる農地、なだらかな山並みに囲まれたのどかな景観が広がります。北には高遊原台地と呼ばれる肥沃な畑作地が広がり、中央部には熊本平野に続く水田地帯、そして南東部には城山や朝来山といった山々が連なる丘陵地があり、地勢の多様性が町の生活や産業に豊かな表情をもたらしています。
交通の便に恵まれており、九州自動車道の益城熊本空港インターや熊本空港への近接性を背景に、熊本県内のみならず九州各地とのアクセスが極めて良好です。町内に鉄道は通っていませんが、路線バスや高速バスが多数発着し、福岡や長崎、鹿児島などへの直行便が利用できるほか、熊本市街地や阿蘇方面とも広域に結ばれています。この地理的特性を活かして、空港周辺には物流・研究開発・製造の各分野で拠点整備が進み、「テクノリサーチパーク」などの産業集積エリアも形成されています。
経済面では、スイカやメロンなどの果物をはじめ、市だごや柿といった農産品が特産として知られています。自然と共に歩む農業の営みが今も地域の基盤を支えながら、近年では食品や医薬、機械製造などの分野でも企業進出が進み、再春館製薬所や井関農機、湖池屋など多様な企業が益城に拠点を構えています。空港というインフラを活かした流通機能や、災害対応力の強化を背景に、益城町は新しい時代の「地方中枢拠点」としての役割を静かに高めています。
2016年の熊本地震では、益城町は二度にわたり震度7を記録するという前例のない被災地となり、庁舎や公共施設、住宅街に甚大な損壊を受けました。しかし町はその直後から復興計画を策定し、住民と行政が一体となって復旧・再建に取り組み続け、2023年には新たな町庁舎が完成。地域の安心と信頼を象徴する存在として新たなスタートを切りました。地震の経験を教訓に、防災インフラの強化や地域コミュニティの再構築が進められ、災害に強く、住民同士の絆が深い町として歩みを続けています。
教育や子育ての面でも充実した環境が整っており、町内には複数の小学校と中学校、幼稚園・保育所があり、安心して子どもを育てられる地域づくりが進められています。高校は町内にないものの、熊本市や近隣町村への通学環境は整備されており、日常の教育アクセスに不便はありません。2024年には空港隣接地に東海大学のキャンパスも新設され、学術研究と地域連携の新たな拠点としても期待が高まっています。
文化・観光の面では、津森神宮や赤井城跡、鬼の窟古墳など歴史的・信仰的な名所が点在し、またそうめん滝や潮井水源といった自然景勝地も町の魅力の一端を成しています。伝統行事も息づいており、津森の神楽や砥川の獅子舞といった地域芸能が受け継がれ、子どもたちが地域の伝統に親しむ場も設けられています。また、グランメッセ熊本ではイベントや展示会、スポーツ大会なども行われ、町内外から人が集う賑わいの場となっています。
益城町は、一時は熊本市との合併構想も浮上したものの、2009年の住民投票で「独立自治体としての存続」を選択し、その後も地域主導による町づくりを貫いてきました。交通・産業・文化・防災、すべての面において自立的な機能を備え、なおかつ都市とのつながりを活かすことができるという、熊本県内でも独自のポジションを確立している地域です。過去の試練を糧に、持続可能で災害に強く、自然と産業が共存する地域社会を築いている益城町は、今後ますますその存在感を高めていくことでしょう。
嘉島町

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
熊本県の中部、熊本市と接する位置にある嘉島町は、面積16.65平方キロメートルという小さな自治体でありながら、熊本都市圏の一翼を担う機能性の高い町です。人口は約1万人(2025年4月時点推計)で、コンパクトながらも生活インフラや商業施設が充実しており、自然の恵みと都市の利便性をバランスよく享受できる地域として近年注目を集めています。町内を流れる緑川や御船川、加勢川などの豊かな水系は、町の東西を潤しながら、美しい湧水地帯を形成しています。特に、浮島神社周辺の湧水や池は、平成の名水百選にも選ばれ、町のシンボル的な存在となっています。
嘉島町は1955年に大島村と六嘉村が合併して誕生し、両村の名から一文字ずつを取って「嘉島」の名がつけられました。1969年に町制を施行して以降は、熊本市とのつながりを強めながらも、自立した町づくりを進めてきました。地理的には熊本市の東区・南区と隣接しており、熊本市中心部まで車で20分以内という近距離にありながら、町内には農地や水辺公園が広がり、穏やかな環境のなかで暮らせるという特性があります。交通面では、九州自動車道と九州中央自動車道の結節点である嘉島ジャンクションが町内に設けられており、広域交通の面でも重要な位置にあります。ただし町内にインターチェンジはなく、最寄りは隣接する御船町の御船ICまたは小池高山ICとなっています。
経済面では、農業と商業がバランスよく発展しており、メロン・イチゴ・大豆・アユなどの農産物に加え、近年では大規模商業施設や工場が集積しています。2003年にはサントリーの九州熊本工場が進出し、2005年には九州初の大型ショッピングモールである「ダイヤモンドシティ・クレア」(現イオンモール熊本)が開業しました。これにより町は買い物客や見学者でにぎわうようになり、地域経済に大きな活気をもたらしました。観光資源としても、浮島神社や六嘉湧水群、嘉島湧水天然プールなどがあり、水にまつわる歴史や文化が今も色濃く残されています。
町内に高等学校は設置されていませんが、中学校1校、小学校2校、幼稚園や保育園が町立・私立あわせて複数あり、子育て環境も整っています。高校への通学は熊本市や周辺市町村の県立・私立学校が対象となり、熊本都市圏の教育資源を活用しながら地域の子どもたちは育まれています。また、町の通学区域は県央学区に属し、進学に関しての自由度も高いのが特徴です。
交通においては、鉄道は町内に通っておらず、最寄り駅は熊本市の健軍町電停やJR南熊本駅となりますが、路線バスが充実しており、特にイオンモール熊本内のバスターミナルを拠点とした運行路線が嘉島町と熊本市をスムーズにつないでいます。公共交通を活用した買い物や通勤、通学も十分に実用的な選択肢となっており、自家用車に頼らない暮らしも可能です。
歴史や風土を大切にしながらも、都市との近接性と新しい商業機能をうまく組み合わせた嘉島町は、コンパクトながらも魅力的な町づくりを進めてきました。水に恵まれた環境の中で、人と自然が調和する暮らしが息づいており、今後も都市近郊のモデルケースとしてさらなる発展が期待されます。
甲佐町

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
熊本県のほぼ中央に位置する甲佐町は、豊かな自然と歴史的背景をあわせ持つ中山間地域であり、緑川の流れとともに暮らしの文化が息づく落ち着いた町です。面積は約58平方キロメートル、人口は約9,500人(2025年4月時点推計)と比較的小規模ながらも、地域資源を活かしたまちづくりを着実に進めています。熊本市南区と宇城市に隣接し、熊本平野の南東端から九州山地へと続く地形のなかで、町の中心部には緑川がゆったりと流れ、夏から秋にかけてはアユ釣り客で賑わうなど、河川と共に暮らす風景が日常に溶け込んでいます。
甲佐という地名の起源には諸説ありますが、古くから交通・流通の要地として知られており、町の歴史は古代から続く在地社会の積層によって育まれてきました。明治期の町村制により複数の村が発足し、1955年には甲佐町・宮内村・竜野村・白旗村・乙女村が対等合併し、現在の町域が形成されました。熊本市中心部からは南東へ約20キロメートルに位置し、都市圏への通勤圏としての側面を持ちながらも、自然と調和した暮らしが可能な環境が広がっています。
町内の経済は農業と物流関連を基盤にしており、地域に根ざした中小企業や工場、流通拠点などが点在しています。大福物流や日立物流九州、木村甲佐工場といった事業所が立地し、雇用と地域経済を支えています。また、上益城農協の本店も町内に構えられており、農産物の集荷・出荷・販売の拠点として機能しています。とくにアユをはじめとした川魚や、肥沃な土地を活かした野菜栽培が盛んで、地元直売所などで季節の味覚が手に入るのも甲佐の魅力のひとつです。
教育面では、町立の小学校4校・中学校1校のほか、熊本県立甲佐高等学校も町内に設置されており、地域内で義務教育から高校まで一貫して学ぶことができます。高校では地域連携活動や福祉・農業などの分野に力を入れた実践的な教育が行われており、地元の若者育成に寄与しています。鉄道は町内に存在しませんが、熊本市方面や美里町方面へ向かうバス路線が運行されており、特に熊本市中心部との接続ではイオンモール熊本や健軍方面を経由する複数の系統が整備されています。最寄り駅はJR鹿児島本線の松橋駅であり、自動車でのアクセスを含めて県南地域との接続もスムーズです。
また、甲佐町はイベントや文化活動も盛んで、毎年7月に開催される「あゆまつり」や、冬の「甲佐蚤の市」、12月の「甲佐10マイルロードレース」など、地域の自然や文化を生かした催しが地域内外からの来訪者を集めています。観光地としては、町の名を冠した甲佐神社をはじめ、清流を楽しめる井戸江峡、津志田河川自然公園、さらには江戸時代の風情を残す中甲橋グリーンパークなどがあります。また、町営のやな場では、伝統的なアユ漁を見学でき、地元ならではの食文化にも触れることができます。
甲佐町は、都市部からのアクセスの良さと自然に囲まれた落ち着いた環境を兼ね備えており、人口減少や少子高齢化といった課題に向き合いながらも、地域資源と人の力を生かして持続可能な地域づくりを模索しています。静かで穏やかな暮らしを求める人々にとって、生活の質が高く、地域のつながりも深いこの町は、今後も熊本県の中南部における安定した定住地として存在感を保ち続けることでしょう。
山都町

(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
浜町は、旧矢部町の中心地であり、現在の山都町においても行政・商業・交通の中心として機能しています。熊本市方面から浜町へ通じる道路(国道445号)は「浜線(はません)」と呼ばれ、浜町がその語源となっています。


熊本県東部に広がる山都町は、阿蘇の外輪山から九州山地へと連なる大地に抱かれた、美しい自然と深い歴史に育まれた町です。町の総面積はおよそ545平方キロメートルと県内でも屈指の広さを誇り、標高200メートルから1700メートルまでの高度差を生かした準高冷地の気候が、夏秋野菜や有機農業をはじめとする特色ある農業を育んでいます。人口は約1.2万人(2025年4月時点推計)と決して多くはありませんが、町全体がゆったりとした時間と豊かな自然に包まれており、「九州のへそ」として地理的にも文化的にも九州の中核に位置する町です。
現在の山都町は、2005年に上益城郡矢部町・上益城郡清和村・阿蘇郡蘇陽町が合併して誕生したもので、熊本県内では珍しい「ちょう」読みの自治体です。町域は東西約33km、南北約27kmに及び、熊本市や御船町と接するだけでなく、宮崎県の高千穂町・五ヶ瀬町・椎葉村とも境を接し、県境を越えた文化や人の行き来が今も息づいています。町の北部には阿蘇南外輪山の高原地帯が広がり、中央部には商業・行政の中核である浜町地区が位置し、南部には深い渓谷と険しい山々が連なる九州山地が広がっています。町を貫くように走る国道218号線は、古くから日向往還として栄えた交易路であり、浜町や馬見原といった宿場町がその名残を今に伝えています。
山都町といえば、江戸時代に築かれた石造アーチ橋「通潤橋」が最も有名で、その雄大な放水は町の象徴であると同時に、日本を代表する農業土木遺産でもあります。放水のために設計されたこの橋は、生活用水と農業用水を遠く離れた台地へ届けるという先人たちの技術と知恵の結晶であり、その背景には布田保之助をはじめとする地元の庄屋や住民たちの力がありました。通潤橋を含む一帯の棚田や水路は「重要文化的景観」にも選ばれており、地域の暮らしと景観が一体となった貴重な文化資産として高く評価されています。
この町はまた、熊本県内でも有機農業の取組が最も盛んな自治体として知られ、農薬や化学肥料を使わない栽培方法に取り組む農家が多く、全国的にも注目されています。ベビーリーフ、キャベツ、茶、椎茸、米などの農産物は、地元直売所や都市部の飲食店・百貨店でも高評価を得ており、「顔が見える農業」の実践地として都市との交流も盛んです。さらに、ジビエや伝統野菜、棚田米など、気候と地形を生かした農業の多様性も魅力となっており、首都圏に拠点を置く販路開拓や移住者支援の活動も積極的に展開されています。
観光資源としては、清和文楽人形芝居や蘇陽峡・緑仙峡の渓谷美、五老ヶ滝や矢部四十八滝といった滝群、幣立神社などの霊場があり、自然・伝統・信仰の全てが息づく土地です。町の中心では、毎年9月に開催される「八朔祭」が名物で、通潤橋の放水と巨大な造り物山車が織りなす祭りは、熊本県内外からの来訪者を魅了しています。また、町内各地で文楽、神楽、火祭りなどが受け継がれ、地域のアイデンティティを形作っています。
町内には熊本県立矢部高校をはじめ、中学校3校・小学校数校があり、広い町域に点在する子どもたちの教育を支えています。鉄道は通っていませんが、幹線道路とバス網が整備され、熊本市や高千穂・延岡方面へとつながる広域アクセスも確保されています。さらに、九州中央自動車道の開通により、山間地域でありながら物流・人流の結節点としての役割も高まっています。
山都町はその名の通り「山の都」として、自然と人が共生する暮らしの場を現代に引き継ぎながら、新しい価値を生み出そうとするエネルギーに満ちています。人口減少や高齢化といった課題に直面しながらも、農業・観光・文化を柱とした地域内経済の再構築に挑み続けており、「失われたものを取り戻す」のではなく、「いまある強みを磨く」という姿勢で着実な歩みを重ねています。山深くとも、閉じることなく、外へとひらかれたこの町の在り方は、これからの地方のあり方を示す一つの可能性といえるでしょう。
※山都町は現在、旧矢部町・旧清和村(いずれも上益城郡に由来)および旧蘇陽町(旧阿蘇郡)から成り立っていますが、それぞれの地域は地理的・歴史的背景に大きな違いを持っています。特に旧蘇陽町・馬見原地区は、地理的に阿蘇外輪山の一角を成し、阿蘇市・高森町との交流が深い地域であり、文化・生活圏の面でも上益城地域よりも阿蘇地域(旧阿蘇郡)に属する文脈で語られることが自然です。そのため、本資料では山都町全体を上益城地域に一括りにせず、旧矢部町・旧清和村は上益城地域、旧蘇陽町は阿蘇地域として紹介する方針とします。
上益城地域のフルーツ
この地域は、温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれ、農業が盛んな地域として知られています。特に、トマト、スイカ、イチゴ、キャベツなど、多様な農産物が生産されています。
- スイカ(大玉・小玉)
- みかん(温州みかん・ハウスみかん)
- 柿(太秋柿・富有柿など)